前回のコラムでもご案内させていただいた通り、お互い、本年5月に赤ちゃん誕生!と云うおめでたネタで芸能ニュースを沸かせたアル・パチーノに引き続き、今回はロバート・デニーロのお薦め作品をご紹介させていただきます!
1970年代から90年代にかけてのスクリーン上でのデニーロの活躍は凄まじく、私も新作が公開されるのを心待ちにしている程、大ファンでした。出演作品の質も高く、様々な役を完璧に演じ分け、名優の名を欲しいままにしていた感が有ります。
しかしながら、2000年代に入ると、B級アクション映画やコメディー映画に立て続けに出演し、自身が日本人と共同経営するニューヨークの高級レストランの話題や、トランプ政権時にはTwitter上でトランプ大統領をブタ野郎呼ばわりするなど、見苦しい舌戦を繰り広げたり・・・と、本業からかけ離れたところで話題を提供する事が多くなっています・・
数年前、イギリスの有名な映画雑誌が、世界映画史に残る監督&主演俳優のアンケートを行ったところ、圧倒的な得票数を集め1位となったのが、スコセッシ&デニーロのコンビです。ちなみに、3位が黒澤明&三船敏郎です。(2位はジョン・フォード&ジョン・ウエイン)
これには異論が有ります・・贔屓目も有りますが、私のなかでは黒澤・三船コンビこそが絶対的にNO1です。大袈裟ですが・・理由と根拠を述べよ、と云われれば、この話題のみで、コラムを50回分は書けます(失笑)
前置きが長くなりましたが、『レイジング・ブル』は1980年に製作された作品です。
1940年代初頭、ボクシングのミドル級チャンピオンになった、実在のボクサー、『怒れる牡牛』・ジェイク・ラモッタの伝記を映画化したものです。
なお、余談ではありますが、試合シーン等のテクニカルアドバイザーとして、ラモッタ本人が、本作品に全面協力しています。
1964年、ジェイク・ラモッタは場末のクラブでストリップの前座のコメディアンだが、かつてはボクシングミドル級チャンピオンだった。
1941年、デビュー以来無敗を誇っていたジェイクは初めての屈辱を味わうこととなる。7回のダウンを奪ったにもかかわらず、相手に有利な判定で敗れたのだ。怒りの収まらない彼は妻や弟でマネージャーのジョーイに当たり散らす。だが、そんなすさんだ心も市営プールで、まだ15歳のブロンドの少女・ビッキーと出会うことで癒される。2人はジェイクに妻子がいるのもお構いなしに交際を始める。
1943年、ジェイクは当時無敵とされていたシュガー・レイ・ロビンソンを破るまでの戦績を挙げた。だが、すぐに行われたリターン・マッチではまたしても不利な判定に屈する。そこに取り入ってきたのが八百長試合を仕組む組織の大物・トミーであった。長らく彼の誘いを拒み続けていたジェイクであったが、タイトルマッチの誘惑に負け、承諾してしまう。格下の相手に負けねばならない屈辱を味わったが、その見返りで彼は念願のチャンピオンへの挑戦が認められる。
1949年、このタイトルマッチにおいて、ジェイクは見事にマルセル・セルダンをTKOし、チャンピオンベルトを手にした。しかしその裏で、ジェイクの病癖-ビッキーへの強い猜疑心が彼を破滅へ導いていたのであった・・・
前述の通り、『レイジング・ブル』はボクシングを題材にした作品ですが『ロッキー』シリーズの様なスポ根サクセスストーリーでもなく、『チャンプ』の様に、姑息にもセコンドに子役を置き、感動を強要する様な、おナミダ頂戴的な映画でもありません。
破天荒な一人のボクサーの、栄光と苦悩・転落の人生を生々しく描き、見終わった後はむしろ疲労感と、ずっしりと重くのしかかる様な印象さえ受けます。
しかしながら、『レイジング・ブル』が未だ傑作として評価される所以は、映画を知り尽くした職人監督であるマーティン・スコセッシの類まれな演出力、撮影技法、音楽の使い方の上手さ等々・・・
そして、何と言ってもロバート・デニーロの鬼気迫る演技が見る者を圧倒するからだと思います。
『デニーロ・アプローチ』と云う言葉を生んだ、デニーロの役作りへの異常なまでの徹底ぶりとストイックさは常軌を逸しています。
引退後のラモッタの怠惰な体型を体現するため、30キロ近く体重を増やした事はあまりにも有名な話ですが、全くの別人が演じている様な錯覚さえ覚えます。
それから・・幼ない妻・ヴィッキー役を演じた、撮影当時、若干二十歳のキャシー・モリアーティーの息を呑むような美しさと、官能的な演技は特筆ものです。その後は三流女優に成下がりましたが・・
どちらかと云うと暗く、重い作品ですが、何れにしても未見の方、関心のある方は、是非一度ご鑑賞ください。
ご一読いただき、誠に有難うございました。
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