瀧嶋の目Takishima's Eye

瀧嶋 誠司
(株式会社オズペック代表取締役社長)

大手ゼネコンに入社し、企業留学でMBAを取得した後、経営コンサルタント、教育サービス産業(上場)及び建設系企業(未上場)で取締役を10年経験する。2005年、MBOにより株式会社オズペックを設立し、代表取締役社長に就任。
経営コンサルタント、経営企画・管理、人事・総務、営業・販促・営業管理、企業統治(取締役3社経験、計10年)

#_specialチャレンジは失敗じゃない、成功するかしないかだけ。
日本の雇用の流動性を高めるために必要なこととは

COMPANY DATA
株式会社INFLUX

株式会社INFLUX

https://influx-inc.com/
設立
2018年
事業内容
・太陽光発電事業全般
・陸上/洋上風力発電事業全般
・藻場再生事業
・バイオマス発電事業全般
・自営電線路建設工事の企画、設計
・カーボンニュートラルポート開発全般

今回は、INFLUX株式会社 執行役員 事業統括本部長 植村 大輔氏のこれまでのキャリア形成についてのお話を伺います。

新卒で国内大手ゼネコンの清水建設に入社。アメリカ留学を経て、外資系企業への転職、リーマンショック時の挫折などもあった中、プロジェクトマネジメントというコアスキルを武器に、これまで多くの会社で経験を積まれてきました。

植村氏は「やりたいことがあれば、新しいことでもどんどんチャレンジしてほしい」と語ります。


株式会社INFLUX 執行役員 事業統括本部長 植村 大輔

MITの留学で見たアメリカ社会に感銘を受け、42歳で外資系への転職を決意。

瀧嶋:
植村さんのこれまでのキャリアについてお伺いしたいと思います。実は、植村さんと私は清水建設の新卒同期で親しくさせていただいておりますが、簡単にこれまでの経歴を教えていただけますでしょうか。

植村氏:
私は、24歳で清水建設に入社しまして、そこから18年間お世話になりました。主に、国内の公共事業を担当していました。31歳の時にマサチューセッツ工科大学に留学させてもらって修士号を取りました。帰国後、42歳の時に清水を離れまして、その後4年ずつくらいで会社を移っています。INFLUXが6社目になりますね。

MIT教授たちと共に。この留学でチャレンジ精神旺盛なアメリカ社会に大きな感銘を受ける。

瀧嶋:
どのような会社に転職していったのですか?

植村氏:
米国企業あり、ヨーロッパ系企業あり、アジア系企業ありとバラエティに富んでいます。また業種も、清水はゼネコンですが、不動産、メーカー、金融、そして今がベンチャーと幅広くやっていますね。ただ、建設のプロジェクトマネジメントという軸はずっとあります。

瀧嶋:
最初の転職は勇気が必要だったと思います。どのような思いがあったのでしょうか?

植村氏:
清水建設に入社した時点では、定年まで勤め上げるのが当たり前だと思っていましたが、MITに留学したときに見たアメリカ社会が強烈だったのです。いろいろな人が新しい発想で新しいビジネスをどんどん立ち上げていく。厳しい競争社会の中で、みなさんがたくましくやっている姿にすごく感銘を受け、自分もその中で揉まれてみたい、と思うようになりました。

会社に守ってもらう人生よりも、自分の力で開拓していく人生の方がエキサイティングだと思ったのですよね。

帰国してからもずっとそういう思いを持って9年ほど清水建設で働きましたが、悶々としていた自分の姿を見ていたのか、ある日副社長に呼ばれまして、「清水を離れて新しいことをしろ」と言われたんですね。

ショックでしたが、友人からも「やりたいことに挑戦すれば、結果がどうであれ後悔しないよ」と励ましてもらいまして、夢に挑戦しようと決意したわけです。米国系企業の日本法人で物流施設の建設のプロマネとして再スタートを切りました。42歳でした。

サンフランシスコの同僚と。この後、リーマンショックが起こり、雇用の流動性を高めるべきだと確信する。

日本も雇用の流動性を高めるべき。自立した若手に期待。

瀧嶋:
でも、リーマンショックの時は、厳しい経験をされたそうですね。

植村氏:
その時は、米系企業で働いていて、東京支社から念願のアメリカ本社に異動したのですが、異動してすぐにリーマンショックが起きました。不動産系の企業でしたので、もろにその煽りを受けまして、私もレイオフの嵐に巻き込まれてしまったのです。

結局、そこから7ヶ月間失業しました。でも、清水を離れなければ良かったとは一度も思ったことは無かったです。だって、夢に挑戦してそれを実現させた結果なのですから。また、驚いたのは、その期間、転職のオファーがあったのが外資系企業のみで日系企業の求人がゼロだったことです。これは由々しき問題だなと思いましたね。日本に住んでいる日本人の私が仕事を探しているのに、外資系企業からしか求人が来ないのですから。

日本でも、もっと雇用の流動性を高めなければいけないと思いました。そうしないと日本の活力は、なかなか復活しないと思います。

瀧嶋:
本当にそうですね。日本の雇用の流動性を高めるためにはどのようなことが必要だとお考えですか?

植村氏:
野球の松坂大輔選手が、大リーグから日本球界に戻ってきたのを見て、とても感動しました。若い選手と一緒に、また一から練習している姿こそ見習うべきだなと思ったのです。周囲の人たちも、そういう松坂選手を温かく応援していました。そういう姿勢・視点がとても大事だと思います。

新卒採用を重視し、その会社独特の文化を形成してしまうのは日本だけです。スポーツ界のようにジョブ型採用を取り入れて、中途の社員も生え抜き社員も同じように活躍できる下地づくりが必要だと感じます。

ただ若い方は、自立した考えを持っている人が増えてきていて、頼もしいですよね。彼らがどんどん変革していってくれることに期待しています。

瀧嶋:
最後に、転職を希望している求職者のみなさんにメッセージをお願いいたします。

植村氏:
私は、このような転職を重ねる人生を選んできましたが、後悔したことはまったくありません。それは、転職するたびに素晴らしい出会いがあり、視野が広がっていったからです。

清水建設にいたときは、清水の常識が日本の常識ぐらいに思っていましたが、そうではありませんでした。米国企業にいたときは、この価値観こそグローバルスタンダードだと思っていた時もありましたが、これもそうではありませんでした。

なので、若い人もそうでない人も、やりたいことがあれば、失敗を恐れずにどんどんチャレンジしてほしいと思います。いや、チャレンジすると決めた時点でもう失敗じゃないんですよね。あとは、成功するかしないかだけです。

日本だと転職の年齢制限は、35歳などと言われますが、とんでもない話です。今は、いろんな技術が生まれ、いろんな価値観が生まれ、いろんなビジネスが生まれる時代です。ぜひこの時代に、チャンスを掴んでもらいたいと思います。

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